ほうれん草サラダ

 

 

「ほうれん草サラダとビール下さい。」

 

  

まただ。

 

今回は3日連続だ。もうすぐ記録更新する・・・

この男、昼間からカフェでビールなんて。東京はなんて自由な所なんだろう。

 

 

 

 私の過ごしてきた町は棚田と干潟に囲まれて、コンビニに行くのも車がないと行けない

電車は21時ごろには走らなくなるので、彼氏との花火大会も花火を見ることなく帰宅することになる。

学校の帰り道ちょっと寄り道してみようものなら、必ず近所のおばさんに見つかって

心配したふりをされる。まったく親切ではない親切心で、お母さんにチクってくるのだ。おせっかい以外の何者でもない。

少しでも変わったことをしようものなら周りの大人は騒ぎ立て、それをみた子供も鵜呑みにする。

そんなド田舎に生まれた私は閉鎖された町の中で見えないルールに縛られていた。

佐賀で過ごした18年間の中で「〜でなければならない」の感覚はしっかりと植えつけられていたのだ。

 

 

 

「お待たせしましたー!」

そんなど田舎をいきて行く為に巧みに身につけた最高のつくり笑顔で少し泡の溢れ落ちるハイネケンのジョッキをドスンと置く。

昼間からカフェで、ビールとほうれん草サラダを食べる彼の自由さに嫉妬の意味を込める。

 

 

 

ギリギリ聞き取れる小さな声で「ありがとうございます」

と目を合わせてくれる。

 

 

色白で細身、というか貧弱という言葉が正しい。男の人の割に長い髪は黒く、大きなウェーブを描いている。

つぶらな眼はキラキラ輝いていて、日本人離れした美しい鼻。

 

 

シロガネーゼに飼われているプードルみたい、

 

ほうれん草サラダのくせに・・・

ほうれん草サラダばっか食べてるから貧弱なのよ。

 

 

私のバイト先では、特徴のある常連さんにあだ名をつける。

リリーフランキーさんそっくりの、『リリーフランキーさん』や食後に必ずアイスオレを飲む『アイスオレ』、朝一で入店し限定10食の彩り定食を必ず頼む『彩り定食さん』

 

どれも単純明快だ。

 

そして彼が、ほうれん草サラダとビールを飲む『ほうれん草サラダ』だ。

ほうれん草サラダが入店すると同時にほうれん草サラダとビールは作られる。

オーダーを取り終わったと同時に出来上がったものを運べるのだ。

 

店内は忙しい。

下北沢徒歩3分という立地に、周りにあるのは有名チェーン店の飲食店ばかり。

そんな中、個人経営で4年戦えている。

間違いなく、美味しいのだ。うちの定食屋は。

初めてここでお客さんとしてご飯を食べた時は本当に感動した。

素朴な店内に、可愛い店員さん。

一緒にいた母とシェアして食べたが、私の『チキンのトマト煮込み』も母の『揚げ出し豆腐のあんかけ定食』も申し分なく、最高に美味しい。

帰りに外壁に貼り付けてある手作りのアルバイト募集の紙を見て、すぐに応募したのだ。

 

入ったはいいものの、あまりの忙しさに常に店内を駆け回っている。

ホールは平日一人だがお昼になると50席ほどある椅子も全部埋まり、外には人が並ぶ。

お客さんも店員に声をかけるのにこちらの状況を伺ってから、という感じ。

そんな事だから料理が出てくるのも遅いが、あまりに美味しいので帰る時はいつも笑顔で帰ってくれる。リピーターも多い。

 

 

なので、『ほうれん草サラダ』の存在はありがたいのだ。

オーダーも決まっているし、ほうれん草サラダなら私でも作れる。

キッチンが忙しい時は、私がやればちょっと先輩に感謝してもらえる。

 

そして、ほうれん草サラダは滞在時間が長い。何をするわけではなく。4、5時間ビールをちびちび飲んでいる。

当分ほおっておいて良いのだ。

気づいた頃にはピークは終わっていて、ほうれん草サラダのビールのお代わりを聞いてあげたら良い。

1席接客しなくても良い席があるということは、お店の回転率的にはよくないが、アルバイトの私的には嬉しいことなのだ。

 

 

ピークも終わり、私はランチを食べる。

ランチは店内の決められた席で食べるのだ。

最高の時、このご飯を毎日食べたいが為に働いているのだ。

 

しかも社長が手伝いに来ている時は、まかないに試作のデザートもつけてくれる!

たまにふざけてバカみたいにでかいデザートを作って、全部食べさせられたりするがそうゆうことも含めてこの職場が好きなのだ。

 

 

今日も社長がふざけててんこ盛りのデザートを持ってくる

「半分でいいです!こんな食べたら太ります!!!」

「いーから食えよ!もう手遅れだから!」

押し問答の末、結局全部食べることになる私。

満足気にキッチンに戻る社長。

 

はあ、昨日の夜抜いた意味・・・

贅沢な悩みなことは自分でもわかってるが私はここで働き始めてからかなりのスピードで大きくなっている。

デザートを見てため息が溢れる。

 

ふと顔を上げると、ほうれん草サラダがこっちを見ている。

 

「あヤバ、目あっちゃった・・・」

どうしていいかわからず笑顔を作り会釈をする

 

ほうれん草サラダはびっくりした様な様子で返してくれる。

 

 

仕事に戻る頃にはもう夕方だ。

レジに立つとほうれん草サラダがお会計にきた。

お会計も終えて

ほうれん草サラダのテーブルを片付けようとする。

 

店内が落ち着いてきたからか先輩が片付けてくれていた。

池田先輩。仕事できるが無愛想でプライドが高く、以前は自分のミスにブチ切れて、乾燥ワカメを床にばらまいて『気分悪いから帰る』と言って帰ってしまった。そのあとの片付けは地獄だったし。

怒ると意図的に皿を割ったりして威圧してくる。アルバイトのカーストのテッペンにいれないと安心できず。怖がりで可哀想な人なのだ。面倒だし、一時的に怖いので誰も逆らわないし、関わらない様にしている。

 

池田先輩にお礼を言わなくては。

以前あまりの忙しさでお礼を伝えるのを忘れていて、機嫌を損ねられめんどくさいことになってしまったのを思い出す。

 

 

キッチンに戻ると池田先輩がいつもの人を見下している様な目をして

皿を拭きながら顎を使って指し示している

「これ、ほうれん草サラダのところにあったよ」

 

オーダーを挟むところに紙ナプキンが挟まれてぶら下がっている。

 

ナプキンには細かい字で

自分がバンドマンであることと、感謝の気持ちと、電話番号と、今度お話したいです。と書かれていた。

 

「どうするの?連絡するの?」

池田先輩がいやらしく笑う

「しません。細い人嫌いなんで」

この人、これをネタにして面白がってる。キッと睨む。

「店員なので。」

平然を装って

紙ナプキンを近くにあった生物のゴミ箱に入れる。

 

逃げる様にキッチンをでた。

 

次の日バイトに行くとスタッフみんながその話を知っていた。

生ゴミに入れたはず紙ナプキンは油汚れをつけて取り出されてディシャップの所に貼り付けられていた。

こんなことをするのは池田先輩くらいだ

 

冷やかしてくる

みんな毎日がつまらないのだ

 

貼り付けられた紙ナプキンをたたんでポケットにしまった。

 

かと言って連絡する気はないのだけど。

この気持ちの詰まった紙ナプキンがひどくかわいそうに思えた

 

 

 

 

それからしばらくほうれん草サラダは姿を現さなかった

少し安心した。どんな顔をしていいかわからないし。

 

もうきっとこのまま会わないんだろうなあと思って忘れていた。

連絡を返さなかったことによりきっと答えは伝わったのだ都合よく考えていた時

ほうれん草サラダがきた。